古代日本の建築物と外壁について

古代の建築物の壁には、中塗面にさらに表土塗一層を加え、その面に壁画下画の陰刻が認められています。


その上の白土塗が画師の職掌として行なわれたことを想定しました。


この事実と、いまの東大寺の画師名簿の記録とを重ね合せれば、壁画を描く場合の白土塗が画師によって行なわれたということを、もはや動かすことはできないでしょう。


石山寺では延べ164人の画師(天平宝字5年12月より翌年8月まで。


なお同期間における土工動員数は延べ170人。


・・・いずれも司工・雇工の合計)が動員されており、そこに壁画の描かれたことは疑いをいれません。


ところで仏堂は「塗殿」ですから、そこに板壁が多用されたとは考え難く、大部分の壁画は、法隆寺と同様、土壁の上に白土でカンバスを作り、その上に描かれたと見るほかはありません。


・・・しかるに本来の左官専門職である土工はその白土塗には関与していないのですから、その施工者は画師をおいて他に求めることはできないでしょう。


これはまだ外壁リフォーム技術などがなかった頃の話です。

工業化と鉄 2

輸送費が下がれば製鉄コストも低下し、鉄の価格は下がり、いっそうの輸送力の向上がもたらされる、といった具合です。


アメリカでは新大陸への植民とほとんど同時に鋳鉄や鍛鉄の生産がはじめられて、一645年にはマサチューセッツ州リンにアメリカ最初の熔鉱炉が造られました。


独立時にはアメリカは世界鉄生産の14%を占め、その生産高はイングランドとウェールズを合わせたものより多かったのです。


しかしその半面、製鉄技術はヨーロッパに比べて著しく遅れ、しかも企業は地方に分散し、生産規模は零細であったことも事実です。


1860年においても平均の企業規模は綿業に比べ、半分にも足らなかったのです。


森林資源に恵まれていたため、南北戦争ごろまで燃料を木炭に依存していたことも大きな理由でした。


このためイギリスで開発された革新的製鉄方式である、パドル炉の導入やコークスの使用も遅れました。


しかし、1830年代後半になると、鉄道の建設がはじまる一方で、ペンシルベニア州東部(アレゲニー山脈)に良質の渥青炭が採掘されるようになり、高品質の銑鉄や錬鉄が生産可能となりました。

工業化と鉄

イギリスではランカシャー紡績業の動力源となった蒸気機関も、アメリカではニューイングランドにおける繊維産業の発達が、前述のように河川の水流の落差を利用した水車の力によるものでした。


1840年ごろでも、馬力あたりコストでみると、アメリカでは蒸気力は水力の5~6倍高かったからです。


これに対し、1838年の政府報告書によると、アメリカで蒸気によって発生された動力の60%は船舶用エンジンによって占められました。


ロバート・フルトンのハドソン川における実験(1807年)以後、蒸気船がミシシッピ川など内陸水路で急速に普及し、アパラチア山脈以西の大陸の開拓に貢献した。


インフラストラクチャーの整備とともにアメリカ産業の発展に重要な役割を果たしたのは、製鉄業の開発です。


同時に重要であったのは、ローゼンバーグも指摘するように、インフラストラクチャーの整備と製鉄業の発展とが相互に関連して、工業化の過程をきわめてダイナミックなものにしたことです。


冶金技術の改良は蒸気機関のそれを意味しましたし、後者は前者の改良をさらに進めました。


安い鉄は鉄道の発展を促し、後者は鉄鉱石や燃料の輸送費を引き下げました。

水田酪農の選択 4

農民組合の結成には、私はまだ20歳代の若者で直接かかわりをもたなかった親父の時代の話になるわけです。


私の村の農民組合の結成は昭和22、3年ころでした。


このころ農民組合の勢力は盛んで、村会議員とか農協の理事、農地委員などにどんどん進出して組合推薦のメンバーが100%当選するようになっていました。


昭和25年ころ、秋田の農民運動史の中に小作争議の指導者として勇敢に活躍した一人として記録されている佐藤さんという人がいました。


体格の頑丈な大男で大相撲にあこがれて弟子入りに上京するがあまり見込みがないということで、数年にして郷里に帰り、農民運動をはじめた人で、無欲な闘士でした。


その人が農民組合のリーダーで、組合の勢いの盛んなときですから村会議員には当選する、農協の理事には当選する。


そして、農協の理事に農民組合の仲間が多数を占めておりましたから、佐藤さんは農協の組合長候補になった。


その組合長候補が、物質が極端に欠乏していた時期でしたから、魚とか塩とか地下足袋のヤミ買いに使う当時としては大金だったんですが160万ぐらいの農協の金を持って歩いていてペテンにかかる、という事件を起こしました。


事業に失敗をして信用を失ってしまうわけです。

水田酪農の選択 3

サイロも15トンサイロ6基ありますが、これも全部手づくりです。


補助金事業のサイロ作りと比較して丁度半額でできあがりました。


借金しないで農業をやって行くためには、そうするしか道はありません。


しかし秋田県の水田酪農だけに限らないでしょうが、残念ながら後退の一途をたどっています。


秋田県では、最盛期のころは水田酪農家は6千戸ありました。


ところが、現在600戸を割りはじめてるんです。


10分の1に減りました。


そして毎年、毎年減り続けています。


私の所属する酪農組合も、かつて200戸の酪農家を組織した酪農専門農協ですが、現在生き残っている人はわずか40戸にすぎません。


その40戸ももっと減りそうです。


各所で全滅しているその中でまだ残っている人が40戸いるとは立派だと評価する人もいるが、酪農経営の中心は息子の時代に移っています。


今、40戸の中で後継者がハッキリしている家は30戸です。


そのうち30歳代になっても嫁をもらえない後継者が6人もいます。


それで困っています。


とにかく、そんなことで農業を守っていくには難しい問題が山積みしているわけですが、生き残るためがんばり続けています。


これも戦後の混乱期の中で開いた小さな部落会館での文化講座から生まれた水田酪農であったのです。

水田酪農の選択 2

私は出稼ぎ問題がはじまる昭和37年以来今日までずっとかかわっていますが、私自身は1回も出稼ぎの経験はないし、わが家の家族6人も、全く農業専業で内職一つやっていません。


いいことかどうかわかりませんが、兼業とか内職とかをやらないで、田んぼと乳牛16頭ということで農業経営をやって生活しているわけです。


あとで借金の問題を申し上げたいと思いますが、私の家は6人家族ですが、いまのところ借金はありません。


貯金もありませんが借金もない。


そのかわり、サイロとか牛舎は全部私と息子で古材を安く求めて、手づくりで建てたものです。


牛舎は4つの棟に段がついて建っています。


うちは小作人で分家で立地条件の悪いところですから小さな牛小屋を建ててはじめるわけです。


10アールの屋敷が3つの段になっており平らではありません。


4頭牛舎からはじまり、次に8頭舎に増築して、また数年後に12頭牛舎に積み足して増頭増築してきました。


牛舎設備は全部借金しない手づくりです。


水田酪農の選択

こんな話があります。


・・・私は戦後の運動の中で、民主化を進めるということと同時に、生産活動を忘れることはできないという気持ちを非常に強く持っておりました。


それは、当時日本全体が食糧の足りない時代でもあったし、封建的な小作料制度にわざわいされて、自分の田んぼや農業というものを自分の意志で経営改善するということが許されない過去の時代から開放される時期に入ったからです。


文化講座の講師に迎えた作家の鶴田先生が秋田の農業は水田単作農業なのでそれだけに依存するやり方だけでは新しい農業は拓けない、米単作農業脱却の複合営農として水田酪農を強く主張された。


私はそれに強く共鳴して、昭和22年の秋に従来の水稲一本槍のわが家の農業に乳牛を導入しました。


それから40年、今日まで私は水田酪農一筋にやっているわけです。


私は現在、田んぼが2.3ヘクタールと乳牛を16頭持っております。


また、自分の田んぼの耕作ばかりではなく、よそから借りたりしているのもあって、1ヘクタールは転作作物をやっています。

誰が植物を気にかけているか 8

まさに1980年代は岐路の10年でした。


次の10年では手遅れとなるでしょう。


世界はいつも生態的に絶え間なく変化してきたといっていいでしょう。


生態環境は決して一定のものではないですし、恐らくこの地球がもう1度エデンの園に立ち返ることはないでしょう。


我々は、この惑星が変化してあたりまえだということを忘れがちです。


たぶんそのわけは、我々の一生が、何億年という地質学的時間と比べればあまりにも短いからなのであろうと思うのです。


スペイン人が15世紀の終わりに中央アメリカに到達したとき、その土地の大部分は耕作地であり、40万から60万の人口を擁していました。


しかし、スペイン人による虐殺と西欧世界から持ち込まれた病気により、その人口は著しく減少しました。


そして約300年を要して19世紀の初期に、その人口はやっと140万まで回復したのです。


このように人口が少なくなった過程にともなって、森林は再び発達し、土地をおおうようになりました。


今日、1800万を超える人口が、両アメリカ大陸の間にある地狭部に生活しています。


したがって、再び森林は失われてしまったといっていいでしょう。

誰が植物を気にかけているか 7

高度に工業化した西欧諸国には、植物の絶滅の問題はないに等しい、と考える人がいるかもしれません。


その見方は間違いです。


植物の絶滅という深刻な問題が保護論者たちの広い関心を初めてとらえたとき、すぐに行なわれたことは、この問題を詳細に把握することでした。


先進諸国の植物学者らは個々に、絶滅が危惧されたり、絶滅に追いやられている植物種のリストをつくりました。


1970年代初めの予測では、約10パーセントの種が絶滅に追いやられるだろうということでした。


今日では数多くのリストが出版されていて、それらによると事態はますます深刻の度合いを増しているようです。


たとえば、ハワイでは、固有種の97パーセント以上が絶滅の危険にさらされています。


東ヨーロッパの地域によっては、自生種の45パーセントが絶滅の危険にさらされています。


これらの例は極端な部類に入るものですが、全体的に見ると絶滅率はいまや約20パーセントと推定されていて、当初の予測の2倍になっています。


これは、何もしなければ、しかも今すぐにしなければ、5種の植物のうち1種が絶滅することを意味しています。

誰が植物を気にかけているか 6

アマゾンでは毎年約400平方マイルの森林が奪われています。


また島によっては惨澹たるありさまのところがあります。


たとえば、ハイチはかつては青々とした島で、2、3の特産物を輸出していればいいようなところでした。


それが今日では、その森林のわずかに8パーセントが残されているにすぎず、かつては豊富な作物であったサトウキビでさえ輸入しなければならないありさまです。


地球上の植物全種の40パーセント以上が熱帯域に生育しているので、これらの地域の植物が消滅すると重大な結果をまねくことになります。


人口が増えるにつれて、人間の生活を快適に支えることのできる土地は少なくなっていきます。


住むのに適した土地が失われるのは、砂漠の出現、すなわち砂漠化といわれるプロセスが始まるときです。

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