水田酪農の選択
こんな話があります。
・・・私は戦後の運動の中で、民主化を進めるということと同時に、生産活動を忘れることはできないという気持ちを非常に強く持っておりました。
それは、当時日本全体が食糧の足りない時代でもあったし、封建的な小作料制度にわざわいされて、自分の田んぼや農業というものを自分の意志で経営改善するということが許されない過去の時代から開放される時期に入ったからです。
文化講座の講師に迎えた作家の鶴田先生が秋田の農業は水田単作農業なのでそれだけに依存するやり方だけでは新しい農業は拓けない、米単作農業脱却の複合営農として水田酪農を強く主張された。
私はそれに強く共鳴して、昭和22年の秋に従来の水稲一本槍のわが家の農業に乳牛を導入しました。
それから40年、今日まで私は水田酪農一筋にやっているわけです。
私は現在、田んぼが2.3ヘクタールと乳牛を16頭持っております。
また、自分の田んぼの耕作ばかりではなく、よそから借りたりしているのもあって、1ヘクタールは転作作物をやっています。